どうせなら楽しく生きてゆきたい。
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(「まじめ週間。」と題して、ここ1週間真面目なことを書いています。
あんなことこんなこと恥ずかしいことなどをいっぱい詰め込んで、
かなり長い文章になってしまっていることをお許し下さい。)
田口の「生い立ち」。
生まれは東京都大田区。
1959年。昭和34年。11月。
田口家の長男として生まれる。
やさしい母親と少し短気だがユーモアのある父親の元に生まれる。
ガリガリに痩せていたが、病気らしい病気はしたことがなかった。
ひとりで遊ぶのが得意な子供だった。
人見知りで引っ込み思案で小心者だった。
今で言う「1K」的な間取りの小さな借家で暮らしていた。
今思えば、すごく貧しかった気がする。
たぶん父親は町工場を少し大きくしたような所で働いていて、
夜勤とかあって、「1K」なのに昼間に父親が寝ていることがあって、
狭いのにイヤだなー、と思った記憶がある。
小学生になってから引っ越したけど、広さ的にはあまり変わりがなかった。
でも、この頃から家には常に猫がいた記憶がある。母親が猫好きで、
その辺の猫に餌をあげているうちに家に住み着いたっていう感じだ。
昔は「完全室内飼い」なんて無かったんじゃないかと思う。
猫は自由に出たり入ったりしていたんじゃないかと思う。
そんなわけで猫がいつもそばにいた。
自分で言うのもなんだが、子供の割には猫との接し方を心得ていたと思う。
やたらと猫を抱いたりいじったりするのは、きっと猫が嫌がるだろうと思い、
ある程度距離を置いて、猫の気持ちを尊重して接していた気がする。
だから同年代の友達が家に来て猫をやたらと抱こうとするのを見ると、
子供心に「わかってないなあ。」と思っていた。
家は貧しかったけど、両親は自分を色々な所に連れて行ってくれた。
日帰り旅行、極々たまに1泊旅行、(もちろん車なんて無かったので電車で。)
都内の様々な遊び場、映画、etc。
父親が写真をよく撮っていたのでアルバムにそれらの思い出が残っている。
楽しい思い出ばかりだ。このことでは両親に本当に感謝している。
それから両親が映画好きで、テレビ映画をよく一緒に見ていた。
その影響で美しい映画音楽が大好きになった。
田口が音楽を大好きになったルーツは両親と一緒に見た映画にあると思う。
昔の映画音楽はシンプルで美しいメロディのものが多いので、
今でも基本的にそういった音楽が好きだ。シンプルで美しいメロディライン。
小学生になっても、もちろん性格が変わるわけでもなく、
人見知りで引っ込み思案で小心者だった。
同じクラスの人間とはあまり遊んでいなかった気がする。
その代わりに近所に住む他のクラスの数人と仲良くなって、
毎日毎日遊びまくっていた。
人見知りで引っ込み思案で小心者だったけど、一旦仲良くなればだいじょうぶ。
小学生時代の6年間をほとんど同じメンバーで遊んでいた気がする。
そのなかには勉強ができる友達や運動が得意な友達や、
ユーモアがすごくある友達がいて、みんなすごいなあ。と思っていた。
そんな友達の中で自分は特に目立つ所が無い普通の子供だったと思う。
小学校2年生の時に妹ができた。
8つ歳が離れた妹ができた。
野球チームに入っていて、7番とか8番バッターで外野とかを守っていた。
ちっともうまくはなかったけど、ユニフォームを揃えて、
日曜日には母親にお弁当を作ってもらい、グラウンドの場所を取るために、
朝早くから出掛けて、夕方まで野球をしていた。
少年野球大会とかに出たけれど、コールドゲームでボロボロに負けた。
それぐらいのレベルの野球少年だった。
小学校1・2年の時に他のクラスに好きな女の子がいて、
住所を頼りにその子の家を見に行ったことがある。
でも、その女の子とはほとんど口をきいたことが無かったし、
人見知りで引っ込み思案で小心者だったので、告白なんてしなかった。
大人になって、渋谷のスクランブル交差点を渡っている時に、
偶然その彼女を見かけたことがある。絶対に間違いなく彼女だった。
でも、茶色い髪に真っ赤な口紅に真っ赤なコートを着て、
すごく派手な感じで、なんだかすごくがっかりしたのを覚えている。
小学校高学年になって同じクラスの池田君と岸君が、
僕を相手にプロレスごっこみたいなことをして遊び始めた。
まあまあ仲が良かったほうだし、イジメというわけでもなく、
ふたりにしてみれば、単なるプロレスごっこにすぎなかったんだろうけど、
僕はそれがイヤで嫌でしかたなく、何日か仮病で学校を休んだ。
学校に行くのがとにかく嫌で、そのことを考えるとなかなか眠れなかった。
成績は普通。良くもなければ悪くもない。
おとなしくて目立たない子供だったと思う。
卒業アルバムで「将来なりたいもの」的な作文を書かされて、
本当はプロボウラー(ボウリング)になりたかったのだけれど、
恥ずかしくて言えなかったので、サラリーマンになると書いた。
「普通のサラリーマンになって、まじめに仕事をしたい。」とウソを書いた。
今でもそのアルバムを持っている。
つづく。
あんなことこんなこと恥ずかしいことなどをいっぱい詰め込んで、
かなり長い文章になってしまっていることをお許し下さい。)
田口の「生い立ち」。
生まれは東京都大田区。
1959年。昭和34年。11月。
田口家の長男として生まれる。
やさしい母親と少し短気だがユーモアのある父親の元に生まれる。
ガリガリに痩せていたが、病気らしい病気はしたことがなかった。
ひとりで遊ぶのが得意な子供だった。
人見知りで引っ込み思案で小心者だった。
今で言う「1K」的な間取りの小さな借家で暮らしていた。
今思えば、すごく貧しかった気がする。
たぶん父親は町工場を少し大きくしたような所で働いていて、
夜勤とかあって、「1K」なのに昼間に父親が寝ていることがあって、
狭いのにイヤだなー、と思った記憶がある。
小学生になってから引っ越したけど、広さ的にはあまり変わりがなかった。
でも、この頃から家には常に猫がいた記憶がある。母親が猫好きで、
その辺の猫に餌をあげているうちに家に住み着いたっていう感じだ。
昔は「完全室内飼い」なんて無かったんじゃないかと思う。
猫は自由に出たり入ったりしていたんじゃないかと思う。
そんなわけで猫がいつもそばにいた。
自分で言うのもなんだが、子供の割には猫との接し方を心得ていたと思う。
やたらと猫を抱いたりいじったりするのは、きっと猫が嫌がるだろうと思い、
ある程度距離を置いて、猫の気持ちを尊重して接していた気がする。
だから同年代の友達が家に来て猫をやたらと抱こうとするのを見ると、
子供心に「わかってないなあ。」と思っていた。
家は貧しかったけど、両親は自分を色々な所に連れて行ってくれた。
日帰り旅行、極々たまに1泊旅行、(もちろん車なんて無かったので電車で。)
都内の様々な遊び場、映画、etc。
父親が写真をよく撮っていたのでアルバムにそれらの思い出が残っている。
楽しい思い出ばかりだ。このことでは両親に本当に感謝している。
それから両親が映画好きで、テレビ映画をよく一緒に見ていた。
その影響で美しい映画音楽が大好きになった。
田口が音楽を大好きになったルーツは両親と一緒に見た映画にあると思う。
昔の映画音楽はシンプルで美しいメロディのものが多いので、
今でも基本的にそういった音楽が好きだ。シンプルで美しいメロディライン。
小学生になっても、もちろん性格が変わるわけでもなく、
人見知りで引っ込み思案で小心者だった。
同じクラスの人間とはあまり遊んでいなかった気がする。
その代わりに近所に住む他のクラスの数人と仲良くなって、
毎日毎日遊びまくっていた。
人見知りで引っ込み思案で小心者だったけど、一旦仲良くなればだいじょうぶ。
小学生時代の6年間をほとんど同じメンバーで遊んでいた気がする。
そのなかには勉強ができる友達や運動が得意な友達や、
ユーモアがすごくある友達がいて、みんなすごいなあ。と思っていた。
そんな友達の中で自分は特に目立つ所が無い普通の子供だったと思う。
小学校2年生の時に妹ができた。
8つ歳が離れた妹ができた。
野球チームに入っていて、7番とか8番バッターで外野とかを守っていた。
ちっともうまくはなかったけど、ユニフォームを揃えて、
日曜日には母親にお弁当を作ってもらい、グラウンドの場所を取るために、
朝早くから出掛けて、夕方まで野球をしていた。
少年野球大会とかに出たけれど、コールドゲームでボロボロに負けた。
それぐらいのレベルの野球少年だった。
小学校1・2年の時に他のクラスに好きな女の子がいて、
住所を頼りにその子の家を見に行ったことがある。
でも、その女の子とはほとんど口をきいたことが無かったし、
人見知りで引っ込み思案で小心者だったので、告白なんてしなかった。
大人になって、渋谷のスクランブル交差点を渡っている時に、
偶然その彼女を見かけたことがある。絶対に間違いなく彼女だった。
でも、茶色い髪に真っ赤な口紅に真っ赤なコートを着て、
すごく派手な感じで、なんだかすごくがっかりしたのを覚えている。
小学校高学年になって同じクラスの池田君と岸君が、
僕を相手にプロレスごっこみたいなことをして遊び始めた。
まあまあ仲が良かったほうだし、イジメというわけでもなく、
ふたりにしてみれば、単なるプロレスごっこにすぎなかったんだろうけど、
僕はそれがイヤで嫌でしかたなく、何日か仮病で学校を休んだ。
学校に行くのがとにかく嫌で、そのことを考えるとなかなか眠れなかった。
成績は普通。良くもなければ悪くもない。
おとなしくて目立たない子供だったと思う。
卒業アルバムで「将来なりたいもの」的な作文を書かされて、
本当はプロボウラー(ボウリング)になりたかったのだけれど、
恥ずかしくて言えなかったので、サラリーマンになると書いた。
「普通のサラリーマンになって、まじめに仕事をしたい。」とウソを書いた。
今でもそのアルバムを持っている。
つづく。
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無題
私は来年、過去の話などをこのようにして綴ってみようと思っていたのですが、田口さんに先を越されてしまいました。
田口さんの真似っこになってしまいそうです。
小さい頃は私もとても引っ込み思案でした。
読みやすいし、そのまま小説に出来そうですね。
いつもと違う田口さんのお話を次回も楽しみにしています^^
田口さんの真似っこになってしまいそうです。
小さい頃は私もとても引っ込み思案でした。
読みやすいし、そのまま小説に出来そうですね。
いつもと違う田口さんのお話を次回も楽しみにしています^^
Re:無題
先を越しちゃいました!(笑)
にーなさんにそう言ってもらえるとうれしいです。
実はこういうことを書くきっかけになったのは、
にーなさんのブログに結構影響されているんです。
にーなさんの過去、ものすごく知りたいです。
うん、いろいろ出てきそうですから。(笑)
期待しちゃいますよ!
にーなさんにそう言ってもらえるとうれしいです。
実はこういうことを書くきっかけになったのは、
にーなさんのブログに結構影響されているんです。
にーなさんの過去、ものすごく知りたいです。
うん、いろいろ出てきそうですから。(笑)
期待しちゃいますよ!
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プロフィール
HN:
田口
性別:
男性
趣味:
音楽・読書・歩くこと
自己紹介:
田口。東京出身で千葉県在住。妻と高校生の娘と三毛猫タマと慎ましく暮らす。1日の半分以上は音楽のことを考えてる。最近はSuperflyにどっぷり。Macintoshとコーヒーと猫がかなり好き。そしておもしろいことが好き。
リンクフリーですよー。
お気軽にコメント下さいねー。
リンクフリーですよー。
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